気まぐれ日記 08年6月

08年5月はここ

6月1日
「助成金申請も頑張る風さんの巻」
 
長男がパソコンを購入したことがきっかけで、これまで気にしていたサンルームの家族共用パソコンに、Yahooあんしんネットを導入することができた。もちろん長男のパソコンを先に設定した上でだが。とにかく、昨日はそのことで、ほとんど丸一日を使ってしまったが、満足感はあった。
 今日はいよいよ、社会人入学している大学院の、研究助成金申請書類を作成しなければならない。大野先生によると、めったにあることではないし、満額獲得も難しいだろうが、とにかく申請するだけの価値はあるとのことだったので、自分の研究の方向付けのためにも、応募することにした。
 助成金を申請するための具体的な研究事業としては、先生と相談して、海外の研究の実情調査ということにした。目的地はドイツである。だから、助成金のほとんどは出張旅費として使われることになる。
 申請書を書く上で、今時点の問題は、ドイツに関する私の情報不足だった。
 それを補ってくれたのは、会社の同僚たちだった。先週、社内でヘルプのメールを出したところ、返信メールが次々に舞い込んだ。どれもこれも貴重な情報を伝えるもので、研究事業計画書は、一気に具体的なものとなる可能性が高まった。
 ところが、その足を引っ張ったのは、パソコントラブルだった。先週、一度おかしくなってサポートセンターの助けを借りた執筆マシンが、またシャットダウンしなくなってしまったのだ。強制終了をいたずらに繰り返すと、また同じことになってしまうので、とにかくマシンをほったらかしにしておくことにした。ひと晩かかってシャットダウンしたこともあるからだ。
 夕方からおかしくなったパソコンは、夕食を終えた後も、まだ「ログオフしています」のままだった。
 「ええい、ままよ!」
 とばかりに強制終了したが、今回はちゃんと起動できた。
 それから一気呵成に申請書作成を書き上げた……と言いたいところだが、緻密な仕事をしたがる風さんが、やっと先生に申請書(案)を電子メールしたのは、午前2時近かった。
 二日続けて満足感にひたる仕事ができた。
 オンザロックでひと息入れてからシャワーを浴び、ベッドに長々と横たわったのは午前3時半頃だった。もちろん尿漏れパッドはまだ当てたままだ。

6月2日(月)
「老化現象がまた・・・の風さん」
 前立腺肥大手術から2ヶ月が経過したが、まだ本来の体調には戻れていない。手術の絶大な効果の弊害で、我慢ができなくなり、いざというときのために尿漏れパッドを当てているが、まだ当分外せないだろう。一番の問題は、体力不足である。入院手術後の安静を意識した生活が、著しく体力を低下させた。今でも過激な運動は控えているため、実は、入院以来走ったことがない。
 体力がないと気力も続かない。気力がないと無理な仕事はできないのである。……と言いながら、けっこう無理なことをしているように見えるかもしれないが、以前の無理に比べたら、まだかわいい無理だ。
 そうこうしているうちに新たな問題が、私の身体に生じた。先週の金曜日、退社寸前に、突然、左目の左側に黒い異物がいくつも見えることに気付いたのだ。コンタクトの汚れではなかった。ひと晩寝てもなくならなかった。ふた晩寝てもなくならなかった。そして、今朝、もうひと晩寝て起きても、やはり依然として見えるのだ。
 不安は朝から時間が経過するにつれて高まった。
 定時後に眼科へ行こうと思ったが、スケジュールを確認すると、時間的に無理だと分かった。それで、昼休みを利用して眼科で診察してもらうことにした。
 結果は、老化によって生じるゼリー状の硝子体剥離による「飛蚊症」だった。もっと具体的に書くと、老化によって硝子体は萎縮する。そのとき網膜と離れてしまうのだが、今まで接着していた部分の凸凹が影となって見えるのだ。一種の生理現象なので心配することはないらしいが、この萎縮が急激に起きると少し心配なので、1ヶ月程度様子を見ることになった。
 何はともあれ、また老化が我が身に起きたのである。
 次は何が起きるやら……。
 帰宅したら、「日本文芸家協会報」が届いていた。長寿会員のことが書いてあった。喜寿の77歳になると長寿会員になる。私はそのときまで、あと23年か……。
 一方、新聞には今野敏さんの山本周五郎賞と日本推理作家協会賞のダブル受賞のことが出ていた。すごい! 作家生活30年。着々と実力を蓄え、妥協を許さぬ執筆態度というか真面目な今野敏さんそのものだと思うが、それが今回の受賞につながったのだ。素晴らしい。めでたい。ブラボー。前回の吉川英治文学新人賞受賞作品も買って読んでみよう。あ、そうそう。今野敏さんは、私より2歳くらい下です。よし。私も頑張ろう。

6月3日(火)「大口注文にうろたえる風さんの巻」
 会社では朝の定時前にラジオ体操の音楽が流れる。
 今朝、2ヶ月ぶりにラジオ体操をした。何しろ手術して下半身が不安になっていたので、下腹に力を入れたり、跳ねたりすることには大いに不安があった。
 筋力は当然衰えていたが、関節がかなり硬くなってもいた。それでも、いちおう不安が現実になることもなく、体操ができた。これからできるだけ毎日ラジオ体操をやろう。
 月に1回の全体朝礼のあと、席の電話が鳴った。お世話にもなり、ご指導も頂いたM顧問からだった。M顧問が藍綬褒章を受章されたので、来週末にお祝い会がある。当然私も出席する。M顧問は出席者の人たちに御礼というか記念の品物を渡すことをお考えで、『和算小説のたのしみ』を150冊用意してほしいと言うのだ。非常にありがたいお申し出で、うれしい限りなのだが、実は、出版社の在庫が払底していることを打ち明けざるを得なかった。「何とかならないのか」という重ねてのお申し出で、私は出版社と相談することを約束して電話を切った。
 出版社としては既に増刷が決まっていた。問題は私の修正提案だった。それも、昨夜のうちに電子メール添付で送ってあったのだ。一番迷っていたのは、正直言って、増刷を承諾するかどうかだった。某先生からクレームがついていて、修正は容易ではないと思っていた。しかし、色々なところから好意的な感想が寄せられ、そのきわめつけが、先日の読売新聞の三浦しをんさんの書評だった。今週末には、作家の大野優凛子さんが、愛媛県のテレビで『和算小説のたのしみ』を紹介してくださる予定である。もはや私が増刷を躊躇している場合ではなくなっているのだ。
 それで、昨夜の電子メールには、増刷の決心がついたことも伝えてあった。
 しかし、修正はやらなければならない。そうなると、印刷・製本の前段階に手番がひとつ増える。つまり修正なしの増刷よりも時間が余計にかかることになるのだ。そのことを知っていたので、顧問からのありがたいお申し出を簡単には受けられなかったのである。
 すぐ電話で、出版社の編集部長にご尽力をお願いした。
 帰宅したら、お手伝いしていた自費出版の本が届いていた。実に3年がかりの出版だった。当面、一般に公開できる本ではないが、最後の仕上げがいくつか残っている。

6月4日(水)「残業に思う・・・の風さん」
 出社して、息つく暇もなく高密度に仕事し、夕方から飛ぶように本社へ移動して、社外の人とビジネスミーティング。それが終わってから、明日の社長報告の準備を同僚と始めた。今回は私が説明役になるので、資料は自分で気に入ったように修正していく。
 午後8時、「ワークライフバランス」を促す全社放送が流れた。長時間残業をせずに帰れ、という意味である。暇ならいざ知らず、多忙な人を無理やり帰してはいけない。
 結局、私は、午後10時過ぎまでかかって、明日の資料を仕上げた。
 机の周りを片付けて部屋を出ると、廊下の照明が消えている。それが、私が歩いて行くにつれて点灯を開始する。人感知センサーの働きである。……とにかく、巨大なオフィスビルに、社員がほとんどいない。
 正門のゲートまでたどり着いたが、普段ならこの時間、家路を急ぐ社員が大勢見られる……のに、今夜は数えるほどしかいない。「ワークライフバランス」という全社へのメッセージに、忠実に従う社員がたくさんいるのだ。セキュリティの厳しい昨今、仕事を自宅まで持ち帰るのがきわめて難しい。パソコンはもちろんのこと、メモリすら容易に持ち出せないのだ。
 世界でも有数の優良企業にまで発展した勤務先を、私は誇りに思っているし、愛着もある。しかし、会社は実体のないもので、そこにあるのは従業員と仕事だけだ。
 駐車場までの寂しい道をとぼとぼと歩きながら、会社が音を立てて崩壊していく姿を夢想した。
 FMから流れるジャズの音色に抱かれながら、ミッシェルを軽やかに走らせた。それでも、深夜の帰宅である。久しぶりにサラリーマンらしい生活をした充実感をおぼえた。

6月5日(木)「社長報告を終えてひと息つく風さんの巻」
 夕べは帰宅してから駆け足で行動し、午前1時前にベッドに飛び込んだ。
 今朝は6時に起床したが、眠りが浅い。やはり、今日の社長報告のために、気が昂ぶっていたのだ。
 どんよりした雲の下、今朝もミッシェルで高速をぶっ飛ばして本社へ急行した。
 月末に株主総会があり、そこで承認されると社長が交代する。技術系の社長から事務系の茶長へとバトンタッチだ。世の中から理系とか文系とかいう表現をなくそうとしている風さんだが、それはまだ無限の可能性を秘めている若者のために言っていることで、どちらの進路で大成している人はそれでかまわない。何にせよ、その道を究めている人は、本質を見抜く力がある……ものだ。
 とはいえ、技術系から事務系への社長交代は、明らかに変化がありそうなことを感じた、今朝の報告会だった。現社長への報告会だったが、次期社長にも同席していただいたのだ。そうしたら、次期社長は、明らかに質問の切り口が違うのだ。
 組織の大小にかかわらず、マネジメントはマンネリさせてはいけない。常に変革が必要である。
 経営環境が厳しくなる中、はたして次期社長はどのような舵取りをするのだろうか。
 製作所へ戻る頃、小雨がぱらつき出した。途中、郵便局に寄って、振込みをした。日本文芸家協会の年会費2万円である。自動機を使った。
 昼前に製作所に着き、現場の作業服に着替えて、仕事に取り組んだ。
 最後の会議が終了したのが午後6時半だった。

6月6日(金)「残業規制、セキュリティ強化に続いて派遣法遵守の巻」
 風さんの勤務先では、多くの外注人材を活用している。そして、その一部である風さんの所属にも、常駐の請負社員や派遣社員そして期間従業員がいる。
 そういった人たちとの仕事の仕方について、本社で教育があった。
 最近、そういったことに非常にうるさいので、私は、これもまた第三国の陰謀だろうと勝手に決め付けていた。ところが、今日の説明を聞いて、まんざらそれだけではないことが分かった。
 そもそも外注人材の活用が始まった頃、まともな法律がなかったのだ。それが、世の中で外注人材の活用が盛んになった後で、実態とは関係なく法律ができたのだという。派遣法である。後からできた法律に合わせようとするから、あるいは実態が定着しているものだから、色々と困ったことが起きるのだ。「能力が不十分で給料の安い人たちには、それなりの仕事だけをやらせなさい」といった法律にしか見えない。向上心のある人が圧倒的に多いのだから、我々も全面的に協力して、より高い仕事と成果を目指して努力するのが、日本のやり方だと私は思うのだが。
 午後から製作所へ戻って、ほとんど自席に座ることができない多忙な時間が続いた。
 今日は週末で「ノー残業デー」なので、定時後になると、三々五々仕事に見切りをつけて退社していった。残っているのは管理職ばかりで、それも次第に席を立っていく。今日も、私が最後になってしまった。若い社員らは、昔の私の若かった頃以上に、密度が高く、効率的な仕事を求められている。それが、さらに残業規制が厳しくなり、外注人材の活用まで制限されたのでは、もう病気にでもならない方がおかしい。とっても会社の行く末を心配している風さんだった。

6月7日(土)「本を買い漁る風さんの巻」
 入院・手術以来、2回目の本山ゼミに出かけた。もう下半身の不安はほとんどない。
 ゼミ室に入って、てきぱきと準備もできた。
 今日の最大の仕事は、研究助成金の申請書を完成させることだった。
 ところが、3時間ものゼミの間に、雑談したり、途中で喫茶店へコーヒーを飲みに行ったりしていたので、とうとう終わらなかった(笑)。帰宅して仕上げてメール添付で先生へ送ることになってしまった。
 帰りにJR高島屋の三省堂に寄った。久しぶりに書店で本を買うのである。書棚を眺めながら物色していると、あれもこれも欲しくなる。病気だ(笑)。2冊はメモして、3冊購入して帰った。
 夕食後、今日三省堂で見つけた本2冊を含めて計7冊をネット注文した。
 続けて、拙作が入っている時代小説アンソロジー『遠き雷鳴』を注文しようとしたら、出版社の桃園書房が昨年倒産していることが分かった。しまった! これなら、その前に大量に買い取っておくべきだった。仕方ないので、中古含めてamazon検索をし、ヒットした11冊を全部買い取った。
 どうも本のことになると、やることが極端と言うか大胆と言うか……。
 
6月8日(日)「今年最初のペコの餌食は・・・の風さん」
 朝から晴れたが、気圧は1011hPaとやや低い。梅雨時である。
 午前中に読みかけの600ページ近い本を読み終えた。学業の方の参考書籍だ。今年やっと20冊目。なかなかペースが上がらない。
 続けて、研究助成金の申請書の仕上げに取り組んだ。
 夕方近くなって早くも疲労が出てきたので、1時間ほど仮眠することにした。早い話が昼寝。寝室の窓を開けてベッドに横になると、節々のしこりがほぐれていく。カーテンを巻き上げて、やや湿った冷風が吹き抜ける。気持ちいい午睡のまどろみが全身を包んだ。
 再び起き出して、いくつかメールを送った後、英語の論文作成の準備に入った。作成要領が英文なので、英語の勉強を兼ねてしっかり読解する。なかなか手ごわいぞ、これ。
 夕食後、階下で今年最初の事件が起きた。
 そもそも夕食のときからペコの動きに落ち着きがなかった。何かの気配を感じるらしいのだ。ワイフが、さかんに「いるの?」と問い掛けるが、ペコは緊張した動きを見せるだけだった。
 やはりいたのだ。巨大なゴキが! 
 後で聞いた話では、ワイフがゴキジェットで動きを止め、ペコが止めを刺したのだという。
 今年も我が家のゴキハンターは健在らしい。
 
6月9日(月)「お宮が壊れている・・・の風さん」
 やはり気圧計は正しかった。朝から雨である。一度寝てしまうと地震でも火事でも起きない風さんなので知らないのだが、夕べは雷鳴もあったらしい。
 雷鳴と言えば、アンソロジー『遠き雷鳴』が、早くもネットの書店からの発送が始まった。今日にも何冊か届きそうだ。
 雨の中、製作所に出社して、先ず、毎週月曜日の朝にしている神棚への参拝をした。二礼二拍手一礼である。ふと顔を上げたら、神棚のお宮の屋根の部品が取れて落ちているのに気が付いた。縁起でもない。同僚にすぐ修理してもらった。
 先週に続いて、ラジオ体操もやった。何とかここまで体調が戻ってきたのだ。うれしい。
 午前中、本社へ移動して会議に出、昼休みもつぶして別の打ち合わせをやった。
 コンビニで買ったパンをかじりながら製作所へ戻り、また会議の連続だった。
 定時後にやっとメールチェックを始めて、午後8時にようやく退社した。
 雨が上がっていた。
 明日は東京へ出張なので、切符を手に入れてから帰宅した。
 「おお!」
 『遠き雷鳴』が2冊、2ヶ所から届いていた。ネットビジネスの速さである。
 夕食を摂って書斎に入ったが、とても論文作成まで手が回らない。
 
6月10日(火)「東京出張・・・の風さん」
 出張で東京へ出かけた。
 都心からはかなり離れた土地へ行ったので、自宅から片道4時間もかかった。
 仕事は会社を代表して葬儀への参列である。中小企業ではあるが、創業者の会長が亡くなられたので、業界からの参列者が非常に多かった。昨夜の通夜でも700人くらいが駆けつけたという。本葬の今日は、弔電だけでも200通を超えていた。
 梅雨の合間の晴れた1日だったが、それほどの蒸し暑さも感じなかった。
 睡眠不足でつらい中、「トヨタ生産方式」を英語で解説する本を、半分くらい読んだ。
 東京とんぼ返りだったわけだが、ちょっと寄り道しようと思えば、大事件のあった秋葉原へ行くこともできた。世界的に有名な秋葉原が、悪い意味でまた知られてしまった。もはや、秋葉原は日本とは言えないのか。
 
6月11日(水)「今日は長谷川伸先生の祥月命日の巻」
 1963年6月11日、作家長谷川伸は永眠した。『一本刀土俵入』や『沓掛時次郎』などの股旅物で有名な作家だが、後進の指導を熱心にしたことや、困っている人に黙って救いの手を差し伸べたことでも有名である。その人間的な側面に惹かれて多くの作家が集まり、没後、長谷川伸の財産を基金として財団法人新鷹会が生まれ、後進の育成を中心とする文学振興に今も活動している。
 生前の長谷川伸先生にはお目にかかったことはないが、孫弟子を自認する私は、その新鷹会に入って20年、今では理事の一人として名を連ねさせてもらっている。
 祥月命日にあたる今日、JR目黒駅のすぐ近くにある高福院を訪れて、長谷川伸先生のお墓にお参りしてから、出張先へ向かった。
 学業がピンチの風さんだが、一番の懸案事項は、英文で論文を提出することだ。締め切りも近い。
 往復の新幹線で、英語論文の書き方の本を真剣に勉強した。大変だが、楽しい。

6月12日(木)「低気圧でも拙著の運気は上昇?・・・の風さん」
 昨日は何とか終日天気がもった。
 が、今朝は、朝から小雨がぱらついた。梅雨である。
 今日はできるだけ早く帰宅して、論文作成に専念しようと思ったが、会社ではほとんど自席に座ることがないくらい会議に振り回され、あっという間に定時も過ぎてしまった。
 ぐったりして帰宅したら、大野優凛子さんからDVDが送られてきていた。彼女が出演しているTV番組で、『和算小説のたのしみ』を紹介してくれ、その映像が入っているのである。
 執筆マシンで再生して観た。……すごい。短い出演シーンの中で5冊出てきたのだが、拙著を一押ししてくれていた。コンセプトは「理数系嫌いの私でも面白かった本」というもので、うれしさと面白さで、はからずも涙が出た。まもなく増刷本の流通が始まるので、愛媛県でも読む人が増えるだろう。
 今夜は雨は止んでいるが、気圧計は1005hPa、低気圧の中にいる。不安定な空模様が続きそうだ。
 
6月13日(金)「なごやかなお祝いの会・・・の風さん」
 M顧問の藍綬褒章受章お祝いの会は今日である。
 『和算小説のたのしみ』は直接会場に届けてもらうようにお願いしてあった。
 1週間で修正有りの増刷を終えて、しかも東京から愛知県まで送り届けるという、超特急且つ綱渡りの仕事だった。1日遅れたら、今日、私は新幹線で東京まで取りに行くつもりだった。え? 大量の本を風さん一人でどうやって運ぶのかって? 東京でレンタカーを借りて、東名をひとっ走り。愛知でレンタカーは乗り捨てる。そう思っていたのだ。
 そういう事態にはならなかったようだが、万が一ということはある。会場へ行って本を確認するまで、一抹の不安はあった。
 それに加えて、昨日、間接的に顧問から、全冊サインを入れて欲しいという注文もあった。
 開場の2時間半前に着いた。
 厳重に梱包されて荷物は確かに届いていた。ホッとした。
 ひと息入れている余裕はない。すぐに開梱して、サインを開始した。
 140冊のサインに2時間近くかかった。
 その間に、大発見をした。2刷の発行年月日である。今日、6月13日なのである。顧問のお祝いのために急いでもらったのだ。それを意識して発行年月日が今日になっていた。吉田部長の粋なはからいに感激した。
 お祝いの会は実になごやかなムードで進行した。技術的に優れているだけでなく、人情にも篤く、気配りの徹底している顧問のお人柄が、多くの関係者を集めたからだ。
 顧問のお礼の挨拶の終わり頃に、引き出物の中に拙著が入っていることが紹介された。
 「デンソーで二人目の直木賞受賞作家が誕生することを期待しています」
 顧問の暖かい励ましの言葉だった(一人目は、東野圭吾氏)。
 マイクをもらった私は、先週の火曜日から今日までの顛末を語った。
 「用意させていただいた2刷に、今日の日付を刻むことができて、私はとてもうれしいです」
 内心、顧問の期待に絶対応えたいと誓ってもいた。

6月14日(土)「論文のオリジナリティは・・・の風さん」
 昨夜帰宅してすぐ論文の準備の続きを始めた。日本経営工学会向けの日本語の論文と、ICMA2008向けの英語の論文を、ほぼ同時に作成しようという大胆な目論見である。並大抵の努力でできることではない。正直に打ち明ければ、一人でまともな論文を書いた経験がないのである。修士論文も手書きのままで、学会へ投稿するところまではいかなかった。
 疲れきった身体に鞭打って、悶々としていたが、できないものはできない。なぜできないかと言うと、論文の体裁を整えることができないのではなく(これは既にバッチリ勉強した。参考図書も購入したし)、いやしくも論文にするのに、どこにオリジナリティがあるのか、あるいはオリジナリティが出せるのかが、分からないのだ。
 午前3時近くまで粘ったが、とうとう体力の残量が「ゼロ」になってしまい、書斎の床にごろんと寝転がった直後、深い眠りに落ち込んでしまった(笑)。
 先週のシーンをビデオテープで再生しているような状態になってしまった。
 朝食を摂る時間もなく、出かける用意をして、電車と地下鉄を乗り継いで、本山キャンパスへ行った。
 事務室でパソコンとプロジェクターを借りたら、今年度の大学院のパンフレットが完成して、昨年に引き続き、院生の一人として私のプロフィールが掲載されていた。ラッキー。お互い様だが、今年度も、自己PRにパンフレットが使える。とりあえず10部もらった。
 大野先生とは、論文のオリジナリティについてだけ、徹底した指導を受けた。
 社内で当たり前と思ってきたことでも、それをどのように扱えば、学会レベルになって且つオリジナリティとして認められるのか、その切り口を明快に解説してもらった。ありがたい。やはり何歳になっても、先生というのはありがたいものだ。
 ゼミが終了してまっすぐ帰宅した。
 最寄りの駅から自宅まで、梅雨の合間とも思えぬ爽やかな夕暮れの小道を、少し大股に歩を進めてみた。悩みが一つでも解決すると、気分は爽快になるものだ。
 剥き出しの腕や首に虫よけスプレーを塗って、拙宅の裏の駐車場用の土地に踏み込んで、石拾いをした。シルバーさんに年に数回草刈りをしてもらうが、エンジン式草刈り機の回転刃が、石を噛んで何枚も駄目になるのだという。草刈り機も回転刃もそれらを運んでくる軽トラまで自前だと聞いて、とても申し訳ない気持ちになっていたのである。
 現地・現物とはよく言ったもので(英語では GO AND SEE THE SITE と言う)、直接駐車場にしようとしている敷地に踏み込んだら、進入路のために削り取った部分が石ころだらけだった。これだから草もろくに生えてこないのだ。宵闇が迫るまで、金ばさみでバケツに拾い集めたが、途方もない仕事量が残った。また近いうちにやろう。
 
6月15日(日)「おかしな1日・・・の風さん」
 たっぷり寝て気持ち良く起きた……と言いたいところだが、何となくスッキリしない。まだまだ身体が本調子でないのだろう。
 とにかく貴重な休日だ。やれるだけ仕事をしなければ。
 現時点最大の懸案事項である手紙を書いた。こればっかりは、平日に疲れた身体で帰宅してからできることではない。文章を書くということは、それなりに消耗するのだ。
 結局、夕方までかかった。それでも、とにかくホッとした。
 個人的なせこい悩みと向かい合っているうちに、世間では人災や天災が続いて起きていた。
 秋葉原事件から思いついて、17歳の女(少女とは敢えて書かない)が携帯サイトに「大量殺人予告」を書き込んで捕まった。偏見だと言われるのを承知で敢えて書くが(本人はそう思っていないので)、もはや女性は圧倒的に弱い立場でない。あらゆる機会がほぼ同等に男女に与えられる時代になってきたのだ。かつて女性が犯さないと思われてきた犯罪だって、実行されている。バラバラ事件も例外ではなくなった。。
 ミャンマーや中国での自然災害に驚いていたら、今度は日本で大きな地震が起きた。人間による自然破壊に対して、地球が怒っているのではないか。とにかく、自然災害では多くの人々が一気に不幸になる。大自然の前では人間はまだまだちっぽけな存在なのだ。これ以上の不幸を増やさないために、人類は一致団結してかえがえのない地球を守らなければならない。個人的には、またサマータイム制の導入が見送られたことが残念でならない。日本人の健康を考えている前に、地球が人類の住めない環境になったらどうするというのだろう?
 そんなこんなで、どうも調子が上がらない。
 夕方暗くなる前に、また裏の駐車場用地へ行き、石を拾った。およそ2ヶ月半ぶりに、尿漏れパッドを外したので、下半身が軽い気がする。このまま普通の生活が送れるだろうか。

6月16日(月)「今日もおかしな1日・・・の風さん」
 出勤するためにミッシェルを運転していると、何となく左目に違和感を覚えた。
 わっ。飛蚊症が増えているではないか! ゴマ粒のように小さな黒い点が、先週よりも多く見える。
 出社して、神棚に参拝したら榊がしおれていた。これじゃ、週明けから気勢が上がらないなあ。
 今朝もラジオ体操をやった。パッドが外れていても不安はなかった。
 今日も会議が連続したが、途中で時間がとれたので、現場(クリーンルーム)に行った。見かけはだいぶ製造現場らしくなってきたが、間欠生産は相変わらずで、流れができてこないと、ビジネスとは言えない。席に戻って、今度はメールの処理に取りかかった。膨大なメールに手こずった。
 明るいうちに退社した。
 帰宅して第一声。「パッドを外して、何とか24時間もったぞ!」なんのこっちゃ。
 夕食後、書斎に入り、うっとうしい黒いゴマ粒を気にしないようにしながら、論文作成のための作業に着手したが、また例によって、効率が上がらない。頭脳が期待する速度で回転しないのだ。頭のてっぺんからつま先まで老化現象である。こうして、いつ死んでもいいと、神は人間を納得させるのだろう。
 職場の神棚の榊がどうなったか、確認するのを忘れた……気になる。
 
6月17日(火)「一転して密度の高い1日・・・の風さん」
 勤務先の製作所のある町の中学校から社会人講話を求められている。と言っても、これは私の力ではなく、勤務先のボランティア活動の一環で、今回は私に仕事が回ってきたもの。ボランティアなので、喜んで引き受けた。ただ、聴講者が中学2年生というのには不安がある。なにしろ私の話は難しい……と言うか、大人向けだからだ。
 製作所の総務の人たちと、昼食後、打ち合わせのため中学校を訪れた。
 職員室を訪れる前に数人の生徒とすれ違ったが、「こんにちは」と元気に挨拶してくる。気持ちいい。
 校長室での打ち合わせとなった。社会人講話の依頼書の宛名が、鳴海風様、となっていたので驚いた。会社員としてより、作家としての話に興味があるのだろう(先生が)。 
 話による、この中学校は、1学年が7クラスもある。大きな学校だ。昨今、子供たちの活字離れが進んでいるのではないですか、水を向けると、朝の読書タイムでは、静かに読んでいるし、昼休みに図書室へ駆け込む生徒も多いと言う。頼もしい限りだ。図書室と先生のために本を何冊か持参してきて良かった、と思った。
 その後、会場となる体育館を見学してから製作所へ戻った。
 定時後に、製作所内の部署対抗ソフトボールの試合があった。今日勝てば決勝進出ということで、私は、職場内や現場を歩き回って、女性中心に応援に来て欲しいと頼んだ。
 その甲斐あってか、相手チームよりもうちの職場の方が、応援は圧倒的に多かった。
 最初に6点も先制されてガックリ来たが、すぐにひっくり返して、最終回は7点リードのままで迎えた。 ところが「野球はドラマだ」というのはソフトボールでも同じで、1点差まで詰め寄られた2アウト満塁、カウント2−3で、サヨナラホームランを打たれてしまったのである。
 大応援団に飲み物まで差し入れした風さんはガッカリ。
 帰宅して、書斎に入って、カバンからケータイを取り出したら、着信記録があった。留守電が入っていたので聞いてみると、女優の五大路子さんからだった。本を送ったので、そのお礼かな、と思ったら、それだけではなかった。来年また、長谷川伸をモデルにした舞台をやるのだそうだ。そのことで、ちょっとした質問があった。調べて答えなければ。そして、できれば、来年、その舞台を観に行きたいものだ。

6月18日(水)「臨時収入で不幸になる話・・・の風さん」
 午前中、定期的な血圧検査を受けた。正常値だった。どうもここの診察室の血圧計は壊れているような気がする。なぜかと言うと、もうここ2年間ぐらい正常値が続いているからだ。特に何かしているわけでもないのに、血圧が正常値になるとはとても思えない。身体はどんどん老化しているのに……。
 昼休みに五大路子さんへ電話した。うまい具合に出てくれて、無沙汰の挨拶後、近況を語り合った。来年の長野での舞台は3月だという。これからホームページをチェックして、出遅れないようにしよう。
 毎月20日は勤務先の給与振込み日である。現金でもらわなくなって久しい。稼いでいる実感が乏しくなる、と言うか、もう全く希薄である。それでも、支払い金額の通知欄にワイフが見慣れぬ文字を発見した。「健康保険給付金」とあり、金額が126300円と大きい。それだけ今月は振込み金額が増えているのである。「何かしら、これ?」「コンピュータの間違いじゃない?(稼いでいる実感が希薄だから、ついこんなたわけた台詞を口走る)」「えー? そんなぁ……。きっと貴方の入院・手術が関係しているわよ」これが昨夜の会話で、職場の勤怠関係を担当しているベテランに尋ねてみた。ワイフと同意見で、毎月配布されている健康保険通知表を確かめてみれば分かる、とのことだった。
 「すっげぇ!」
 帰宅して、真っ先にチェックしてみたら(実は開封もせずに電子レンジの上に放置してあった)、しっかり還付金として同じ数字の金額が印刷されていた。
 「間違いじゃなかったでしょ?」
 「よし!」
 「何がよしよ? これで安心してまた入院するつもりでしょ?」
 「看護師さん、優しかったからなあ」
 「ほうら、貴方の考えは常に不純に満ちているんだから、そのうちひどい目に遭うわよ」
 「ひどい目に遭うまでいい思いしたい……」と言い終わらないうちに、ワイフの右平手打ちが飛んできた。
 
6月19日(木)「なかなか全快とはいかない・・・の風さん」
 1ヶ月ぶりに総合病院へ。磐石の自信があるわけではないが、今日で「完治終了」とならないかな、と期待していた。とにかくひと区切りしたかった。
 が、淡い期待は無残にも打ち砕かれた。
 「まだ濁っていますね」
 検尿コップを一瞥して医師はクールに言った。
 「やっぱり……」
 私は観念した。
 結局、抗生剤はもらえず、次回は3ヶ月後となった。やれやれ。
 帰宅して、冷や飯に生卵をぶっかけて、たくあんで遅い昼食にした。
 郵便物を二つこしらえたところで、もう夕方になってしまった。
 夕食はスーパーの寿司パックで、私はイカにした。
 夜は、これから作成する論文のオリジナリティについて、頭を悩ませた。
 結局、午前零時過ぎに、ある程度のところまで思考が進んで、今夜は閉店にした。

6月20日(金)「平凡な日常・・・の風さん」
 論文を1本持って本社へ出張した。会議の待ち時間があるので、そこで読むつもりだった。電子辞書とシニアグラスもカバンに入れた。英語の論文である。
 午前中に専務報告があり、午後一番から人事部と一緒に中途採用面談をした。
 結局、午後2時過ぎまで本社にいたが、論文を読む時間は1分もなかった(涙)。
 傘は持っていたが、雨が降り出さないうちに製作所へ戻った。
 製作所へ着いてから、会社のロゴマーク入り半袖ポロシャツを注文した。現場向きのポロシャツだった。制電加工がしてあるのも気に入った。手に入ったら製作所で着よう。
 夕方から職場の自主防災訓練をおこなった。職場防災隊だけでやったのだが、慣れていないので気勢が上がらないというか真剣味に欠ける。これではいざというときに役に立たないだろう。東海地震はもういつ来てもおかしくないのだ。
 退社時刻には雨が本格的に降っていた。
 帰りに大型家電量販店に寄ってDVD−Rを買った。ついでに、別のフロアにある食料品売り場で夕食を買った(今夜は、ワイフは、名古屋でJDPAコンベンションつまりトールの展示の仕事があり、帰って来ない。長女のマンションに泊まる)。さらにミッシェルにも給油して8時に帰宅した。
 明日から論文に全精力を注入しなければならないので、今夜は早めに寝るつもり。
 ところで、昨日、またまた楠木誠一郎さんから新刊が届いた。『新選組は名探偵!!』(講談社青い鳥文庫)である。快調にシリーズ化で出版を重ねている。……と思っていたら、今日の地元新聞の夕刊に、植松三十里さんが写真入りで紹介されていた。みんな頑張っているなあ。僕はしばらく学業に専念するしかない。
 
6月21−22日「『源氏物語』にショック・・・の風さん」
 この週末は、できれば福島の母を訪ねたいと思っていた。
 しかし、これだけ論文の仕事が遅れているのでは、とても福島へ行っている場合ではなかった。
 天気も悪かったが、土曜、日曜と、家から一歩も出ずに、ひたすら書斎で研究に励んだ。
 いったい何をしているかというと、生産システムの柔軟性を評価する「ものさし」を開発しているのだが、その「ものさし」の性能を確かめるために、シミュレーションをしているのだ。それが、なかなか思ったような結果を出してくれないために、試行錯誤を繰り返しているのである。
 ただ、朝から晩まで同じ事をやっていると、精神に異常をきたす恐れがあるため、就寝前にちょっとだけ読書をすることにしている。ここのところずっと読み続けているのは、鈴木輝一郎さんの小説と、京大の上野先生のお母様が訳された『源氏物語』である。
 『源氏物語』は現在第2巻(全8巻である)の中ほどで、源氏が正妻である葵上が亡くなってまだ日が浅いのに幼い紫上に手をつけたところでは、いくら時代が違うとは言え、少なからぬショックを受けた。そして、案の定、紫上は傷ついたのだ。
 これからどうなっていくのか。年内に全巻読破するのは至難の業だろうが、先が気になってしようがない。

6月23日(月)「東京雨男を返上・・・の風さん」
 昨日までの雨が上がった。しかし、天気は西から東へ移動するので、東京は雨だろうな。
 まさかこんなに論文の仕事で苦労するとは思わなかった。
 とにかく今年も依頼されて承知していたので、やらねばならない。長谷川伸の会の司会である。
 先週末と同様に、英語の論文とシニアグラス、電子辞書を持って出発した。
 名古屋までの電車に乗っている間、とにかく目をつぶってひたすら休息に努めた。昨夜も遅かったのである。
 新幹線の車中では、はからずも寝てしまった。睡眠不足だけではない。やはり疲れているのだ。
 車窓から眺める東京の空には、あまり重い雨雲は見られなかった。
 せっかく上京したので、高輪台にある書肆啓祐堂を訪れ、高橋美紀さんの「ひとふでアートの世界」を見学することにした。一昨年は見学できたが、昨年は上京の機会がなかった。それでも、案内の葉書が届いていたのだ。
 到着早々「鳴海風で〜す」と言ったら、「新聞に出ていましたね」といきなり言われてうろたえた。
 ま、それはともかく、高橋美紀さんの一筆書きは年々洗練されてきていると思う。今回も20点ほどの作品が飾ってあったが、特に楽器を弾いているような動きのある絵が好きだ。一筆書きの勢いのある線が、実にダイナミックな演奏を感じさせる。
 今回は、高橋さんの芸術や一筆書きとの出会い、こうして個展を開くまでに至った経緯などを教えてもらった。我が家の二人の子供(名古屋芸大2年の長男と旭丘美術科3年の次女)の将来のために、参考に聞いたのだが、一見幸運に見える高橋美紀さんのキャリアは、たぶんに本人の人柄のせいだと思う。誰からも好意を寄せられるキャラの持ち主なのだ、きっと。
 近所のギャラリーオキュルスに寄って、しばし『源氏物語』談義をしてから、長谷川伸の会の会場である四ツ谷の弘済会館へ向かった。
 今年の長谷川伸賞は、違いの分かる男……じゃなかった、狂言師で人間国宝の野村万作さんである。昨日が77歳の誕生日だったそうだが、非常にお若い。これからも特に狂言の海外普及へ力を注ぎたいとおっしゃっておられた。
 今年で7年連続の司会役だったが、アドリブを交えながらの司会進行で、なかなか上達しないぞ、これ。司会業は難しい。
 とうとう雨に降られることなく東京を去る時刻になった。
 帰りの新幹線の車中では爆睡だった。結局、名鉄電車でもひたすら休養に努め、持って行った論文には全く目を通すことができなかった。どんどん追い詰められるぅ。

6月24日(火)「論文・研究・焦り・・・の風さん」
 今日のスケジュールをろくに確認せずに製作所へ出社してしまった。
 朝のラジオ体操が始まったばかりの時に職場に着いた。かばんを床に置いて、体操を始めた。
 いっちに、さんし……。身体の節々が硬い。
 パソコンを立ち上げて、予定を確認すると、夕方から本社で、定時後は歯医者で健診となっていた。
 しまった。診察券と保険証を持って来なかった。
 午前中、二つの会議に出席した。
 昼食後、二つの面談をこなし、一つ打ち合わせをしてから、机の上を片付け、バタバタと退社した。いったん自宅へ寄って診察券と保険証を持って本社へ向かうつもりだった。
 ところが、ミッシェルを運転しているうちに、今日の定時までに提出しなければならない書類があることを思い出した。自宅へ着いたら、本社のサーバーにアクセスして片付けようと決めた。このまま本社に行ったのでは絶対に間に合わない。
 帰宅して書斎へ直行し、パソコンを立ち上げた。
 大特急で書類を作成し、何とか、それをメール添付で届けることができた……が、既に本社の仕事には間に合わない時刻になっていた。それよりも、歯医者に着くのがギリギリなくらいである。
 私は自宅を飛び出して、ミッシェルのアクセルを吹かしまくった。
 そうやって加速感を得ながら、ふと疑問に思った。
 (なぜ自分はこんなに歯医者へ行くのを急いでいるのだろう?)
 別に詰め物がとれてしまったわけではない。まして、虫歯が痛くて我慢できないわけでもない。
 (そもそも論文の準備でめちゃくちゃ忙しいのだ!)
 インターの直前でハンドルを右に切った私は、空き地へミッシェルを停めて、歯医者へ電話し、予約をキャンセルした後、1ヵ月後の別の日を予約した。
 安心して帰宅した私は、未明まで研究にいそしんだ。

6月25日(水)「焦りが増してきたぞ・・・の風さん」
 4時間ほどの睡眠で起床。眠い……に決まっている! 私は超人でも化け物でも、ましてナポレオンなどではない。
 本社で午前8時から会議があるので、ミッシェルで高速を飛ばした。
 定時株主総会が開かれる会場の横を通って本社ビルへ。
 午前中に二つの会議に出席した。
 昼食は、元気をつけようと、こってりした中華をふた皿取った。代金が千円近かった(高い〜!)。
 その後、製作所へ。
 ちんたら走っていると睡魔で気を失う恐れがあったので、スパルタンな走りをさせながら、製作所へ無事着いた。
 会社へシミュレーション計算用のファイルをメール送信してあったので、あれこれとパラメータを操作しながら、目的の結果が出るように工夫したが、思うように作業は進まなかった。
 途中まで完成したファイルをそのままにして、夕方から会議に出席し、戻ってきて作業に復帰しようとするときに色々と邪魔が入って、あっと思ったときには、ファイルが消えていた。そう。保存せずに作業をしていたため、1時間以上の労力の注入成果がパーになってしまったのだ。
 定時後になっていたが、このまま意気消沈して帰るのは精神衛生上よくないので、執念でファイルの復元に挑んだ(何のことはない、もう一度作業をしただけ)。
 ようやく8時過ぎにそれらしいものができたので、実際の計算は後回しにして退社することにした。
 カバンに手帳類をしまっていたら、中に放り込んだままにしてあったケータイにメールが入っていることに気付いた。セキュリティが厳しくなってから、私のケータイは不携帯電話になっている。
 友人からのメールで、最近の私がいかにも病人みたいで(本当に病気かも)心配してくれているのだった。ありがたい。
 帰りのミッシェルの運転も昼間と同様にスパルタンなものだった。
 既に9時を回っていたので、さっさと夕食を摂って書斎へ直行した。
 今夜はさすがに頭が回らない。それで、最近無沙汰しまくりのメール対応と、気まぐれ日記の更新に時間を割くことにした。

6月26日(木)「論文ができねぇー!・・・の風さん」
 昨夜も就寝は午前2時になってしまった。死ぬな、きっと。
 今日は終日製作所にいて、会議をこなしながら、その合間を縫ってエクセルの計算に精を出した。
 論文の準備がちっともはかどらないので、明日の夜に予定されていた送別会を欠席する決断をした。現実を直視すると、あらゆることに無理が生じていることが明らかになる。そして、悲しい決断をする羽目になるのだ。とにかく、明日の飲み会をやめることで、明日の往復をミッシェルから電車に変える必要がなくなると同時に、夜の時間を大幅に確保できることに……。
 ……しかし、今夜も帰りがどんどん遅くなってしまい、フラフラで帰宅することに……。
 このところトールペインティングで超多忙と言うか高ストレスに遭遇しているワイフは、不眠症らしいし、口内炎までできて、苦しんでいる。無理するのは、我が家で私ひとりで十分だ。
 今夜は、午前2時半まで頑張ってしまった。最後に、途中までの状況を大野先生へメール添付で送信した。でも、できてねぇー!
 英語の論文を書かなければいけないのに、思ったようなシミュレーション結果が出ないため、それで毎日悪戦苦闘しているのである。

6月27日(金)「とうとうシミュレーション失敗か・・・の風さん」
 とうとう週末だ。論文の締め切りまであと2週間。
 無理しているせいか、蚊が増えてきた。どういう意味かと言うと、飛蚊症が悪化しているということ。
 飛蚊症は左目だけに起きている。原因は老化による硝子体の縮退。老化、老化、老化、何でも老化だ。もういい加減にしてくれ、と叫びたい。
 製作所に定時直前にすべりこみ、着替える前にラジオ体操に合流した。身体が硬直化している(汗)。
 午前中に、役員と部長を招いての会議があった。この準備で昨夜は帰宅が遅くなったのだ。
 このところ役員に叱られっぱなしの風さんだったので、今日は何としても汚名挽回をしなければならなかった。もちろん私が再評価されるという意味ではなく、部下が正当に評価されるように準備するということだ。
 うまく行った。私と同じヘマを部下にさせなかったので、作戦は成功である。
 午後は、とにかく時間を作ってシミュレーションの続きをやった。明日は本山でゼミをやるので、少しでも進めておかなければならない(つまり、まだ思うような結果が出ないのだ)。
 今夜も、途中までの状況を大野先生へ電子メールで送った。やはり大野先生に助けてもらわなければ……。
 先生と言えば、今夜、京都大学の上野健爾先生は、東京で「Net Rush」に出演して、お母様の『源氏物語』の話をしているはずだ。今夜はもう観ている余裕がない。ごめんなさーい。
 今夜も口内炎のワイフはきわめて不機嫌だ。

6月28日(土)「目からウロコ・・・の風さん」
 昨夜は午前3時就寝だった。毎日30分ずつ就寝が遅くなってきた。
 しかし、今日は土曜日。起床は9時。何とか6時間は眠れた……か。
 朝食を摂るのもやめて、準備をして本山へ出かけた。
 今は晴れているが、午後から天気は下り坂である。傘をカバンに入れるのを忘れなかった。
 キャンパス近くの大衆食堂(笑)で昼食をちゃちゃっと摂り、本山キャンパスへ。
 事務室でパソコンとプロジェクターを借りてゼミ室へ。機器をセットアップしてから、持参のコンパクトHDをつないで、昨夜までの進行状況を簡潔に説明する用意をした。
 午後1時から5時半まで、途中、ドトールでのコーヒー・タイムをはさんで、集中的なゼミをやった。
 先生はすぐに私の愚かな状況を把握され、一緒にこの難問を考えてくれた。
 最後は、データを改ざんすべではないか、とまるで昨今の食べ物の偽造事件みたいな事態になりかけたが、さすが先生は事実から眼を背けない。
 「思うような結果が出ないのではなく、出ているのだけど、認めていないだけではないですか。つまり、そのデータは正しいのかもしれない、と考えてみたらどうでしょう」
 目からウロコとは、まさにこのことだった。
 データは、実は、ちゃんと事実を示しているのかもしれない。
 それを結論にして、今日のゼミは終了した。
 疲れた。とにかく疲れた。往復の車中はボケーッとしているだけだった。
 帰宅したら、口内炎がいくらか直ってきたワイフが明るく迎えてくれた。
 元国立天文台の中村士先生から、『江戸の天文学 星空を翔ける』(技術評論社)が届いた。一般の人が思わず手にとって読みたくなる本だ。江戸時代の天文学の発達ぶりは、誰でも知ったら驚くだろう。そして、京都朝廷の陰陽寮や江戸幕府の天文方など、どろどろした人間臭いドラマもあったのだ。
 うーん。やはり、江戸の天文学を題材にした小説をまた書きたーい。
 昨夜の「Net Rush」を観た。
 上野先生のご家族の、お母様が口語訳された『源氏物語』を何とか形にして残したいという想いが伝わってきた。全8巻が揃ったところで、石山寺に奉納に行かれた話しには、胸が熱くなった。

6月29日(日)「やっと論文の全体構成が完成・・・の風さん」
 たっぷり寝て、ゆっくり起きたので、今日は終日、論文の全体構成の作成に集中することができた。
 論文の最後の結論は、大野先生のご指摘通り、データは嘘をついているのではなく、事実を正直に語っていることが分かった。
 この論文ができれば、3年間の大学院後期課程の中間地点で、確かな足跡を残せることになる。
 この論文をひっさげて、現在最も研究が進んでいるドイツへ乗り込むことができるだろう。
 わっはっは。……でも、課題は私の体力で、寿命を使い果たすことにならないように気をつけねば(笑)。
 夕食後、全体構成がほぼできた。
 明日から、各部分の骨子を日本語で箇条書きにしながら、どんどん英語に訳して……いけるわけないか。うーん。前途はまだまだ多難だぞ。
 明日も頑張ろう。

08年7月はここ

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